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株式会社 武田マネジメントシステムスはCS(顧客満足)向上理論・実践を専門とするコンサルタント会社です。

コラムCOLUMN


~世の中すべて「人」と「ひと」~
先達から受けた教え

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その3
   その4




~世の中すべて「人」と「ひと」~ 先達から受けた教え ーその4-  

株式会社 武田マネジメントシステムス 代表取締役 武田哲男


東京オリンピック(1964年)の銀座地区は海外からのお客様で賑わっていた。
銀座地区の各社で観光客に対する「おもてなし」のために人数はさほど多くなかったが、「Goodwill Interpreter(善意の通訳)」と記された少し大きめのバッジを胸につけ、銀座地区を徘徊しながら困っている人や、買い物や、観光スポットなどのご相談などに応じて各国の人々のサポート役をしていた。
英語で通じなかった時は、堂々と日本語で伝えると意外に理解していただけることが分かった。言葉は異なっても気持ちを込めて真剣に伝えると分かるのだろう感じた。
閉会式は楽しい思い出ばかりだったのは、当日は神宮から選手がスクラムを組んで色取りどりの服装や自国の旗を身体に巻きつけた選手達の誘いで、一緒に肩を組んで大声で歌ったり叫んだりしながら、記憶では新宿御苑まで更新した。
そこで更に大はしゃぎしたことを覚えている。
中でも各国の人達が沢山の自国バッジを身体中にピンで留めたのをはずしてプレゼントしたり、各国の選手同士がバッジの交換をしている様子はとても微笑ましいシーンであった。お陰様で私も両手一杯のバッジをいただき、背広に所狭しと国旗のピンを留めた思い出がある(その後、子供達や親戚の子供達に上げたりしている内にいつのまにか1個も残っていない残念さを覚えている)。閉会式後、しばらくの間は選手達が来店し時計を購入してくれた嬉しい再度の出逢いがが脳裏に焼きついている。
 
実は東京オリンピック開催の1月ほど前に東京オリンピック招致に影で大きな力を発揮してくださった「フレッド・イサム・和田(日系二世)氏」と銀座・和光の店頭で長時間の会話をさせて頂いた。それをきっかけに何回もお目にかかり、それと共に同氏の活動、行動そのものに接し、合わせて様々なことを学ぶことができた。単なる一介の店員である私に対しても、決してと偉ぶらず、真摯な態度・姿勢と太平洋戦争時にアメリカ在住の日本人の誰もが受けた屈辱や苦労に忍んでいた時代を乗り越える精神的硬骨漢ぶりの話もすでに知っていたので(ご次男の名前をエドウィンとされたのは、「江戸Win」であったことなど)。穏やで蕩けるような笑顔から導かれる一言ひとことの重さと沢山の行動で示す実績についても学ばせえいただいた。
小柄で柔和、そして穏やかながらカミソリの感じと言うより斧のような重さのあるオーラに緊張した。しかし一方、チャーミングな方であった。
実は同氏は、アメリカでスーパーマーケット17店舗のほか、後に日本人向けの病院、老人ホーム等を運営しまた、日本のスポーツ選手が試合で渡米したときにはご夫妻共々お世話をしたようである。だからアメリカ在住の日本人で知らない者はいないほど日本ならびに日本人の世話をして下さった方なのである。
 
中でも各国がオリンピックの招致を目指して委員会にアピールしていた時に、フレッド・イサム・和田氏は東京オリンピック招致委員として自腹で各国を訪問し、東京招致活動に注力して下さった。結果、そのご努力のお陰で第1回目の投票で文句なく東京オリンピックが決まったのである。
もっと身近にことでお世話になったのは、オリンピック競技の計測器はオメガだけだったところに、初めてSEIKOに決まったのだが、ビジネス抜きの影の推薦者として力を発揮してくださったらしいことを後から知った。
和田さんにはロータリークラブのマークが付いたボールペンをいただき、大切にしていたがボールペンとしての機能が発揮できなくなってしまったために引き出しに大切に保管していたのだが、引っ越し後に姿が見えなくなってしまったのはいかにも残念。
当時、服部時計店の役員、銀座・和光の代表者である服部礼次郎氏に和田氏の来店と、度々お話をさせていただいたことを伝えたところ、直ちに宿泊先ホテルをお尋ねになった。
見せかけだけではないお人柄は、いまでもその時に戻ったように心が温まる。






~世の中すべて「人」と「ひと」~ 先達から受けた教え ーその3-

株式会社 武田マネジメントシステムス 代表取締役 武田哲男


スリムで背が高く(165cmの私が少し見上げる感じの身長だったと思う)、しかも全身がまるで鋼のバネのような体躯で、オーラと言うより圧倒するエネルギーが発散されていたのは日本国有鉄道鉄裁の石田礼(禮)助氏であった。
最初にお目にかかったのは1階の時計売り場(SEIKO)だったが、あまりにも乱暴な言葉づかいにびっくりしてお顔を見直した。
しかし言葉の割には目が優しくホッとした記憶がある。
そんな目つきをしたからだろうか、「石田礼助だ。知っているか」とガラスのショーケースの上にポンと乱暴に名刺を置いた。 
見ると、かなり大きな文字で『日本国有鉄道 総裁』と記されている(なお、沢山の有名人からお名刺を頂戴したが、退職時に全て会社にお渡しした)。
そばには秘書らしき中年男性がいたずらっぽく私の顔を見ていたが、全く口を挟まないで黙って立っている。
もちろん知らないわけはないから「はい、存じ上げています」と顔を見ながらお答えした。頭の中には、元・三井物産代表取締役社長のデータが浮かんだがもちろん余計なことだから言う筈がない。

当時はコンピューターがまだなく、後に現在の電卓以下の能力しか発揮できないが図体の大きなタイガー計算機が使用され、その後まるで冷蔵庫のように冷えた部屋に巨大なコンピューターが登場した。蹴飛ばして動かすような余り役に立たないコンピューターの時代だったから、顧客の顔と名前は雑誌や新聞、それに顧客がご来店時に先輩や顧客の担当者に「あの方はどなたですか」と教えを受けて徹底して覚えるしかなかった。
覚える対象は企業関係者が中心だったが、ご本人の顔・名前、企業の所在、企業人ならその方の上司、部下、仲の良い友人・知人。ご家族、ペットの名前まで覚えたり手帳に記した(ご本人と仲のよくない人も一緒に覚えた)。1,500人位は覚え、関係先を含めると恐らく5,000名以上は記憶していたと思う。覚えるしかなかった時代であった。

さて、先の石田礼助氏は、プレゼントする時計をどれにするか迷っていらっしゃった。
「君ならどちらにするか」とまるで文句でも言われているようなぶっきらぼうな表現である。「プレゼントなさるのはどのような方ですか」と尋ね、秘書が代って説明をしたのを受けて「こちらの方がよろしいかと思います」と理由と共に断定的に申上げた。
「よし。じゃ、これにしよう」。
以来、ご本人が違うフロアーで買い物をなさるときにそのフロアーから呼び出しを受け、買い物のサポート役を仰せつかるようになった。
後に知ったのだが、ご本人が「生まれつき丁寧語は使えない。無理に丁寧な言葉で話をしようとすると、まるでマンキー(猿)が裃(かみしも)を身につけたようで滑稽なことになる。だが、粗にして野だが卑ではないつもりだ」とおっしゃったらしい。
まさにその通りの方であった(「粗にして野だが卑ではない」というタイトルで城山三郎氏が本をお書きになった。)。
ご本人から直接お聞きしたわけではないが、後に様々な場面から知った他にも有名な語録がある。正確ではないが、覚えているのは、「能力主義がやかましく言われているが、能力のある人間は、やっぱりよく考えている奴だと思う。味方なら頼もしく、敵にすると怖い存在」は覚えている。
「国鉄を利用する人達はおよそ50億人。他人の命を預かる公職は奉仕すべきで、報酬は受けるべきではない。返上する」としたが、実際にはどうしても規則で縛られている組織なのでゼロにはできずに少額を仕方なく受け取ったとのことである。

今でも石田礼助氏が目の前にお立になった時の心地よい緊張感をはっきりと覚えている。





~世の中すべて「人」と「ひと」~ 先達から受けた教え ーその2-

株式会社 武田マネジメントシステムス 代表取締役 武田哲男


前回ご案内した児玉誉士夫氏といえば、盟友に『小佐野賢治』氏がいらっしゃった。
国際工業の社主として名高かったが、両氏は様々な関係にあった人物として有名であるが、私にとってはそんなことは雲の上のこと、我関せずのことである。

ある時、国際工業の事務所が引っ越した。落ち着いた頃を見計らって新しい建物のお祝いを兼ねて訪問した。今までいくつかのビルの各階に部門・部署が分かれていたのが、今回は大げさに言うとフロアーの端が霞んで見えるような広いスペースに中枢をなす全ての部門・部署が一堂に集まっている。
そこで小佐野 社主に「どうしてこんなに広い場所に移ったんですか?」「しかも衝立は全くありませんね」なぜでしょうかと質問した。
言わずもがなの質問で、答えはきっと「人数が増えたから」「ゲスな考え方で衝立代がもったいないから」だろうと若気の至りで推測していた。
「これなら見渡せるじゃないか」
「なぜ見渡せた方が良いんですか?」「どうして社長室をお作りにならないのですか」
矢継ぎ早に質問をさせていただいた。
素早く明確な返事が戻ってくる。
社主の回答は・・・
「いろいろあるが、先ずは皆が一一堂に会していると目的・目標が明確になるし、しかもいつも空気がピンと張る定の緊張感が生まれる。
それに大声で❍❍君!と呼べばすぐ飛んでこれる。こちらがいま知りたいことの質問ができ、その場で答えが得られる。ボケた回答ならその場ですぐに追求でき、ズレを正せる。何が大切で、どんな考え方や取組み方が必要なのかといった教育がフロアー全体に行き渡る。しかも俺が怒っている姿も皆の緊張を呼び起こす。
社長が部屋に閉じこもっているなんてもってのほか、実に勿体ない」。
とまあこんなお答えだったと記憶している。

なるほど、一代で大成功された名経営者というのは常にこうした考え方や姿勢で仕事に臨んでいらっしゃるのかと今でも迫力と活きいき感と緊張を呼び起こす怖さと鋭い前向きの小気味よい態度・姿勢を思い出すことが出来る。
お目にかかっている間も次々にスタッフが社主の前に現れる。殆どが稟議と報告のようである。稟議の決済は早い。チラット目を通して瞬時に把握するようなので1件に数十秒。
以前、アメリカの大統領の決済件数が異常に多いので、相当の集中力と意志決定力が必要という話を耳にしたことがあるからこの件については容易に理解できた。
「いちいちそんな程度のことで報告するな」ということも報告者に伝えていらっしゃるが、「しかし、是非、聞いて下さい」と食い下がる人もいる。
「武さん、実はこのように何としてでも報告を聞いて欲しいという姿勢は、自分の仕事に責任を持っていることと、是非とも知っておいて欲しいという意識だから報告はその踏み絵でもある。結局のところ、一所懸命に報告に来る人間に結果として大切な要件を任せているし、トップ対してホームランねらいをしてアピールにくる人間よりは、少し背伸びした課題・目的・目標を持ち、これを確実にヒットにつなげることが多い人間を大切にして取り立てている。な、わかるだろ?」

児玉誉士夫氏、小佐野賢治氏とくればすぐに思い起こすのが田中角栄・元総理である。
「武さん、悪いけど目白まで❍❍を届けてくれないかな」といった時に丁稚どんよろしく、「へーい、毎度あり~。分かりました。今すぐお届けに参りま~す」といった面持ちで犬ならさしずめ尻尾を目一杯に振りながら飛び出すといったことを今でも覚えていて、当時の心のときめきを懐かしく思う。






~世の中すべて「人」と「ひと」~ 先達から受けた教え ーその1-

株式会社 武田マネジメントシステムス 代表取締役 武田哲男


「ところで武(たけ)さん、「信用」とか「信頼」の意味って分かるかい?」
正確な表現ではないが、会話の中で何かの拍子に確かこんな感じの質問を受けたように覚えている。
若さ故と怖い物しらずから、とりとめのないことをあれこれと思いつきで伝えた。
社会人として初スタートの会社勤務は、服部時計店(現・セイコー)で、所属は小売部門の銀座・和光であった。和光には当時、世の中を動かしている誰もが知っている政治・経済・官僚・学者など様々な分野の日本のリーダー、絵や音楽などの分野における芸術家、加えて世界の名だたる方々やそのご家族のご来店であった。
話を元に戻すと「信用」「信頼」についての問いかけは、そうした著名な方のお一人であったが、様々なお客様が人生の先達として若い私にいろいろと世の中の基本的なことを教えてあげようという親切なお気持ちからの貴重な贈り物と素直に受け止めていた。
場面は異なるが、「あんたどうせ安月給だろう。だからうちレベルの店では飲めないだろうから、飲みにおいで。いつも買い物の相談に乗ってくれて世話になっているから招待するよ」。座っただけで当時の給料の半分以上もする店だが、気っ風の良いクラブのママのありがたいお言葉。銀座で有名なママで繁盛店だったことから、様々なビジネスの絡みもあったのだろうが、当時でも驚いたことに大企業のゼネコンの営業部長がママの夜だけの運転手をしていたなどがあった時代である。
折角のご厚意なので上司の了解をとりつけて店を訪れた。そこで分かったことは招待の趣旨は、一流人のご接待用の店における立ち居振る舞いやお酒の飲み方の心得を五感で覚えさせてくれるというプレゼントだったのである。酒席のマナーをこうして懇切丁寧親切に教えていただいた。
華やかりし頃の銀座の風情であり、力が入っている訳ではない心にゆとりのある人生の師たちの親切と心意気で若者を育てている様子が垣間見れた。
お陰様で滅多に得られない人生の大切な物事を様々な方々から教えを受け、身につけることが出来た。
さて、「先ずは『信用』だが、煎じ詰めると世間の真意は“お金”と“時間”のことなんだ」と簡潔に説明してくださった。
「つまりいつもお金と時間にきちんとしているかどうか。約束を守っているかどうか」がしかるべく長く続くと信用につながる、つまり時間とお金が信用の基盤であるということである。
支払いはきちんとしているか、約束の時間を守っているか、逆に相手の支払いが遅れた場合はきちんと催促をする、納品遅れは許さないなどであり、それが個人のことであれば基本的にはお金の貸し借りをしない、若し借りた場合は約束の日時までにきちんと返す、人と待ち合わせの時間は決して遅れない。
これが企業を対象とした場合、初訪問時であれば、約束時間の前に到着し、周辺環境を五感で観察、また当該企業に出入りしている人達の特色を見る、社員の表情、目の動き、フットワーク、姿勢、外部の人達に対する対応などの観察をすることが大切だと教えを受けた。
 そして更にその信用の時間がかなり経った頃、「貴方を信頼している」「貴社を信頼している」となる。信頼に至るといつも時間に正確な人が約束の時間に間に合わなかった時、相手が「何か事故でもあったのだろうか・・・」と心配してくれたり、「信頼している企業が約束の支払いが遅れた場合、何か困ったことがあれば助けてあげたい」と考えてくれる。「これが信頼関係」という説明であった。
大分、後になってのことだが、ある大学の哲学の教授に「信用」と「信頼」の解釈が「正しいか否か」を尋ねたところ「間違いない」とおっしゃっていただいた。
 
実は、信用・信頼を教えてくださったのは右翼の大物『児玉誉士夫氏』であった。



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